INFORMATION

2020.02.23

青春18きっぷの旅

青春18きっぷの旅「カプチーノの夜」

公開しました。

ついにカプチーノ全貌が明らかに。

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2020.02.23

Dancyu web 青春18きっぷ

Dancyu web 「米をつくるということ」のスピンアウト・シリーズ

青春18きっぷの旅 「続・棚田の用心棒」を公開しました。

ついに棚田に到着。そこにモンスターが!

 

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2020.02.14

18きっぷ、まつだいへの旅

Dancyu web 「米をつくるということ」のスピンアウト・シリーズ 

「青春18きっぷの旅」

シリーズ④「だるまが俺を呼んでいる」は15日土曜日

シリーズ⑤「私を棚田に連れていって」は16日日曜日の連続公開です

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2020.02.14

18きっぷ、まつだいへの旅

Dancyu web 「米をつくるということ」のスピンアウト・シリーズ 

「青春18きっぷの旅」

シリーズ④「だるまが俺を呼んでいる」は15日土曜日

シリーズ⑤「私を棚田に連れていって」は16日日曜日の連続公開です

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2020.02.01

Dancyu web 「ゴーン・ウイズ・ザ・ドリンク」

Dancyu web 「ゴーン・ウイズ・ザ・ドリンク」

青春18きっぷの旅 第2弾

新潟まつだいまで道中です。

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DIARY

2012.02.21

バリ・インターナショナル・メディカル・センター

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BIMC(バリ・インターナショナル・メディカル・センター)で右足裏にできた傷の治療を受けた。

感染症で腫れあがり、毎日ホテルから病院通い。抗生剤の点滴を打たれ、おかげで、悪化

することもなく帰国。そのときもらったのが、治療用のキット。ホテルと航空機内で使うように

とのこと。

ガーゼはシリコン素材の高級品。日本の医者がこれを見て「へえ、バリでもこんなガーゼを

使うのか」と驚いていた。ちなみにそのクリニックでは普通のガーゼでした。

「遅れている」という東南アジア認識そのものが「遅れている」ともいえるか。

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2012.01.17

ガス・ヴァン・サント『永遠の僕たち』

ガス・ヴァン・サントの『永遠の僕たち』を見た。といっても昨年のことだけど。余命いくばくもない女と男(少女と少年といってもいい若い二人だが)の悲恋。うんざりするほど生産されてきたステレオタイプのプロットだが、日本人の特攻隊員のゴーストも現れて、人間関係が奇妙なトライアングルで展開するのが、さすがにこの監督の面白いところ。

映像やアングルのセンスはこの作品でも光っている。茶目っ気から主役の少女にめまぐるしい早さで衣装の着せ替えをやらせている。ハリウッド五十年代映画でヒロインが着たような衣装を少し崩した感じで、これがなかなかいい。

トーマス・ヴィターベアの『ディア・ウエンディ』で少年たちが身につけた60年代のサイケデリックファッション(あきらかにジミヘンやジム・モリソンへのオマージュとして)をみたときと同じ驚きを覚えた。ちなみにかつてトーマス・ヴィターベアをインタビューしたとき、「ストイックな作品ではなくエンターテーメントも撮るかも」といっていたけれど、ディア・ウエンディはエッジのきいたエンターテーメントになっていたなあ。

で、『永遠の僕たち』だけれど、ラストの献辞として「デニス・ホッパーに捧ぐ」と出てハッとした。’10に亡くなった彼を偲んだものだが、主役をやったヘンリー・ホッパーは息子だ。映画はアメリカンニューシネマの第二世代に受けつがれているということを実感したしだい。

しかしガス・ヴァン・サントには『ジェリー』『誘う女』『エレファント』のような現代アメリカの実態をつくような作品をもう一度とってほしい。

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2011.07.10

骨の記憶・後記(1)

実は2部のノンフィクションの核をなす金関丈夫氏の骨格標本は掲載不可となりました。

もちろん、他の標本類の写真は収録されていますが、残念です。

この経緯については、信濃毎日新聞のコラム「パソコンを閉じて」でふれています。読むことができる方はご参考に。

なお、

HBC北海道放送「山ちゃん美香の朝ドキッ!」で永江朗さんが「骨の記憶」を紹介してくれました。http://www.hbc.co.jp/radio/asadoki/book/index.html

感謝です。

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2011.07.04

骨の記憶・創作記録(8)

鳥取砂丘の人骨が四体発見された。続報では、たて一列に直線上に西を向いて埋葬されていたということがわかった。骨は丁寧に扱わないと壊れるほど、風化が進んでいるらしい。

鳥取大学医学部に検死をたのんだということだが、おそらく人類学、考古学の範疇に入る出来事だろう。

土井ケ浜遺跡とおなじで、砂中は人骨が残りやすい。相当前に、たとえ弥生時代に埋葬されたことも考えられる。

近年の浜の浸食によって、深く埋葬されたものが、出土したということだろう。

土井ケ浜の研究者は駆けつけたのだろうか?

ただし土井ケ浜では、知る限り、たて一列の埋葬というのはなかったはずだが。

もっとも江戸時代だってないだろうが。

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2011.07.02

骨の記憶・創作記録(7)

人類学者の馬場悠男さんと足跡考古学の真家和生さんにおいでいただいて、出版の打ち上げを。

馬場さんはもっか徳川家の霊廟を大調査中。こっそり見せてもらった将軍たちの系図に、頭骨が写真で入っていたのには、びっくりした。

代が新しくなるほどに、「貴族的」になっているのだと。そういえば面長に、口元が小さくなっている。

さらにおもしろいのは骨が朱色に染まっていること。埋葬時に遺体を朱につけ込んだらしい。

ところで、馬場さんは若いころ人類学界の腕相撲チャンピオンだったらしく、それを破ったのが真家さんだとか。当時真家さんはバーベルで鍛えていたらしい。

発掘作業などたしかに体育会系の資質が必要なのかも。

馬場さんの徳川家の骨研究はまとまれば、たぶんNHKスペシャルなどでやりそうなのだが。

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ESSAY

2020.02.08

Dancyu web

「焼き饅頭の罠」 Dancyu web  青春18きっぷの旅

今回は各駅停車で高崎まで進みます。

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2019.12.31

謹賀新年 手作り無農薬の魚沼コシヒカリ(原種)から始めます

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ついに無農薬、完全手作りの魚沼、まつだい棚田の原種コシヒカリが精米されて届きました。

田植えから草取り、稲刈りまで手作業で汗を流した結晶です。

無理をいって中米、くず米、再選別米もそれぞれ2kgずつ精米してもらいました。

2020年正月はこれで炊いたご飯からスタートします。

すでに掲載中のDancyu web 「米をつくること」を読んでください。

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2019.08.09

日本のお笑いとメディアの関係②

日本のお笑いとメディアの関係②

 時代は変わり、クレージーキャッツのあとを嗣ぐようにあらわれたコミックバンドが、ザ・ドリフターズだ。そしてコント55号。彼らこそがテレビにお笑いを定着させた先駆者である。その後、漫才ブームが起こり、よしもとの芸人たちがテレビの「全国区」で活躍するようになる。

 お笑いはまず寄席や劇場という空間のライブからスタートし、映画に主軸を移した。喜劇映画は一大ジャンルとして確立されたが、その商業的な衰退とともに消えていく。つぎにやってきたテレビの時代は、昭和世代の人々にとって、これからも永遠に続くように思われた。しかしそれも幻想であったようだ。いまテレビはかつての勢いを失いつつある。

 ではつぎに来るのは何か?いうまでもなくネットだ。お笑いも、もはやテレビだけを主舞台にする時代ではなくなりつつある。今回の騒動で、有名タレントがぞくぞくとSNSを使って意見表明したのは、まさにその象徴である。ネットには、独自に制作されたお笑い、バラエティ番組もたくさん生まれている。お笑いタレントたちもテレビと蜜月をつづけているだけでは先細りは免れないと、うすうす感づいているのだろう。

 現在は、若い世代ほどテレビ視聴時間が少なく、20代には、ほとんどテレビを見ないという人も珍しくない。彼らはひたすらネットに時間を費やす。そこでは動画や放送で、エンターテイント性の高い情報に接しながら時間を過ごしている。彼らが社会の中心に躍り出るのはもうすぐだ。そのとき、新しいスタイルの「お笑い」が、世にあふれることになっているのかもしれない。

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2019.08.09

日本のお笑いとメディアの関係

※北海道新聞8月9日付の寄稿文に関連して、まったく別の視点から書きました。

日本のお笑いとメディアの関係①

 土曜日の昼、小学校から家に帰ると、ランドセルを放り投げて、食卓に用意されたインスタントラーメンをすする。そのとき白黒テレビに流れているのは、きまって吉本新喜劇の中継番組だった。昭和30年代、福岡に生まれた私にとって「よしもと」という名は、週末ののどかな空気が漂う茶の間で、かわいたベタな笑いを誘うドタバタ喜劇として記憶に刷りこまれている。

 それから半世紀たって、いま再び「よしもと」(よしもと・クリエイティブ・エージェンシー)の名を、頻繁に耳にするようになった。「闇営業」に端を発した一連の騒動は、有名お笑い芸人の一部が会社に反旗を掲げるまでに拡大した。

 ところで、今回の騒動をきっかけに気づいたことがある。日本の「お笑いのエンターテーメント」が、一つの転換点にさしかかっている気配を、私は感じるのだ。背景には、昭和から平成にかけて大衆娯楽を一手に担ってきたテレビという媒体の退潮現象がある。

 いつのときも「お笑い」は、その時代にふさわしいメディアによって支えられてきた。ふり返ってみると、たとえば戦前、戦後にお笑いの中核にいたエノケンこと榎本健一は、劇団を主宰し、当時日本最大の繁華街だった浅草の劇場を席巻した。彼を支えたメディアは劇場だった。

 戦後まもなく一時代を築いたのはハナ肇とクレージーキャッツだが、彼らが活躍した中心メディアは、映画だった。現存するテレビ映像を目にして、彼らの主舞台がテレビだったと思うのは誤解である。植木等を主役にした映画の無責任シリーズは空前の人気をよび、高度成長期の娯楽文化の象徴となった。ちょうどそのころ活躍したコメディアンの巨匠、森重久弥もまた主戦場は映画だった。彼がテレビ俳優として広く知られるようになる前のことだ。続く

 

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2017.04.03

コラム ディランとノーベル文学賞

 4月1日、ボブ・ディランがコンサートで訪れていたスウェーデン・ストックホルムで、スウェーデン・アカデミーからノーベル文学賞の賞状とメダルを受け取った。

 これに関連して、昨年、新聞に寄稿した原稿を改稿して掲載。

 1964年12月、フランスの作家、ジャン=ポール・サルトルはノーベル文学賞を辞退し表彰式を欠席した。

 この文化的な一大ニュースの余韻が残る翌年の7月、ボブ・ディランは米国のニューポートフォークフェスティバルに出演した。
 ギター一本で斬新な自作曲を歌うディランは、すでに若者に人気のフォークシンガーだった。このステージでは、エレキギターを奏で『ライク・ア・ローリング・ストーン』を歌うという離れ業を初めて披露した。しかし一部の観衆から「低俗なロックンロール!」という罵声を浴びて舞台をやむなく降りる。のちに語りつがれる音楽史上の大事件だった。
 彼に批判的だった観客は、概ねリベラルなインテリ層だったが、音楽的には保守的な人が多かったらしい。彼らがディランに求めていたのは正統的でアコースティックな民族(フォーク)音楽でしかなかった。その意味では、頭が固い権威主義者だったともいえる。

 当時のサルトルもまたディラン同様に、多くの若い読者をもつ文学界の大スターだった。それだけにノーベル文学賞辞退という彼の行動は世界に波紋を広げた。当時の若者にとって同賞は、古びた「ただの権威」に格下げされたにちがいない。
 だから今年、ノーベル文学賞受賞の一報が流れてからのディランの長い沈黙は、私にはサルトルの「辞退」を思い起こさせた。その後、彼は唐突に受賞を歓迎する意向を示したが、「ノーベル賞のニュースに言葉を失っていた」というコメントで人々を煙にまいた。

 一方、賞の選考委員会の思惑は透けて見える。彼らにとって同賞は、米国のグラミー賞などをはるかに上まわる芸術的な権威にちがいない。その感覚は正統派のフォークに比べてロックンロールを低俗だと罵倒した65年当時のニューポートの観衆に似ている。
 にもかかわらずこの不出生ポップスターを選んだのは、権威の側にいる彼らの中に芽生えた強い危機意識のためだったと思う。背景には文学書の急激な市場縮小があり、サルトルの時代にあったような文学の社会的な存在感も、薄れているという現実がある。

 そもそも近年の同賞は、世界的にはさほど有名ではないが、社会的に意義のある作品を発表している作家を選ぶ傾向にあった。近代文学の中心地である欧米からの受賞をおさえ気味にして、アジア、アフリカ、ラテンアメリカや小国出身の作家を積極的に選んできた。昨年は『チェルノブイリの祈り』を書いた、ベラルーシのスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチというジャーナリストが受賞した。

 つまりノーベル文学賞はその権威を自覚的に活用し、ときに反政府的な作家を選ぶという政治性をも発揮しながら、いわば黒子として文学の活性化を巧みにはかってきたのだ。
 しかし今回はどうか。好きなアーティストを照らすスポットライトの中に、むりやり割りこむ観客を見せられたようで、私は不快だった。嫌な観客とはもちろん文学賞のこと。ディランにしても本当は面白くないはずだ。彼のように若くしてスターになった人は、何者かに利用されることにはとても敏感なのだ。

 彼の詩はたしかにすばらしい。しかしそれは歌う、奏でるという自らの身体表現を通して聴き手に染みわたっていくものだ。ボブ・ディランはやはり作家ではなく音楽家なのだ。
 近代の文学は作家が紙にインクで記した言葉を、読者が静かに黙読してたどることで成り立ってきた。個人から個人へと受け渡される沈黙の行為が文学だった。だからこそ、いっときの感情の高ぶりに流されない深みと、時代の動きにあらがうような強さを獲得できた。ノーベル文学賞がどうであろうと、やっぱり文学は生き延びるしかないのだ。

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著作本のご案内

「ネットで『つながること』の耐えられない軽さ」を改訂し、第5章を追加。
山根基世氏の解説。

「つながらない勇気」
(文春文庫)
2019年12月5日発売
定価(本体640円+税)
生きがいのある老後に必要なものとは
「暴走老人!」に続いて老年の価値を問う

「この先をどう生きるか」
(文藝春秋)
2019年1月12日発売
定価(本体1,200円+税)
讀賣新聞夕刊に連載された人気コラム
「スパイス」から選び抜かれたエッセイを
加筆改稿、書き下ろしを加えた

「あなたがスマホを見ているとき
スマホもあなたを見ている」

(プレジデント社)
2017年12月13日発売
定価(本体1,300円+税)
2006年に刊行されて、
「プレジデント・ファミリー」など
新しい教育雑誌発刊の火付け役になった本の文庫化

「隠れた日本の優秀校」
(小学館文庫 プレジデントセレクト)
2017年5月14日発売
定価(本体680円+税)
2011年に刊行され
ネット等で評判になった文章読本
これを大幅改稿した文庫本

「文は一行目から書かなくていい」
(小学館文庫 プレジデントセレクト)
2017年2月7日発売
定価(本体650円+税)
もし子供部屋がなかったら、
その子はどこで自分を見つめ、
自力で考え、成長する力を得られるのか?
子供と個室と想像力への考察

「なぜ、『子供部屋』をつくるのか」
(廣済堂出版)
2017年2月1日発売
定価(本体1,500円+税)
何かあるとすぐにネットで検索。
止まらないネットサーフィンで、気づくと1時間。
LINEの既読が気になって仕方がない・・・・・・
ネット漬けの日常から逃走し、「自分」を取り戻す

「スマホ断食」
(潮出版社)
2016年7月5日発売
定価(本体1,200円+税)
ネットは人を幸福にするのか?
「ネットことば」が「書きことば」を追いはらい、思考の根本が溶けていく。
それは500年に一度の大転換

「ネットで『つながる』ことの耐えられない軽さ」
(文藝春秋)
2014年1月30日発売
定価(本体1,100円+税)
エリエスのセミナーに5年以上通っているベストセラー作家が、「過去出席したセミナーの中でベスト2に入る」と絶賛した、伝説のセミナー収録CD
CD2枚組
「時代を切りとる文章講座」
(エリエス・ブック・コンサルティング)
2011年10月13日発売
定価10,500円(税込)
「骨の記憶」
(集英社)
2011年6月29日発売
定価1575円(税込)
「文は一行目から書かなくていい」
(プレジデント社)
2011年5月30日発売
定価1300円(税込)
文春文庫「暴走老人!」
(文藝春秋)
2009年12月10日発売
定価533円(税込)
集英社文庫「脳の力こぶ」
(集英社)
2009年3月18日発売
定価500円(税込)
朝日新書「検索バカ」
(朝日新聞出版)
2008年10月10日発売
定価777円(税込)
「なぜ、その子供は
腕のない絵を描いたか」

(祥伝社黄金文庫)
2008年7月24日発売
定価580円(税込)
「暴走老人!」
(文藝春秋)
2007年8月30日発売
定価1050円(税込)
科学と文学による新「学問のすすめ」
脳の力こぶ

(集英社)
2006年5月26日発売
定価1575円(1500円+消費税)
絵本「私を忘れないで」
(インデックス・コミュニケーションズ)
2006年5月25日発売
定価1260円(税込)

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