「ザ・シンプソンズ」毒と楽観が共存するアメリカ製アニメの不思議(ビデオ現代病理学2)
カラオケで“ピーヒャラ、ピーヒャラ……”と、いい大人が声を張りあげていたとき、アメリカではこの「ザ・シンプソンズ」が人気を博していた。「ちびまるこ」と「ザ・シンプソンズ」を材料に、日米の比較文化論が語られたり、本が出版されたりしたのもそのころのことだ。
日本人の比較したがりぶり(特にアメリカ人との)は、ほんとうにいつまでたっても治らない。もちろんアメリカ人はちびまるこなど知らないにちがいないし、知りたくもないはずだ。それなのに、日本ではいまでもアメリカばかりに目が向く。テレビを見れば米国情報通がけっこう幅をきかせ、アメリカ人(なぜか白人が多い)のタレントがつまらないことをいっている。そういうのを聞かされるのにはいつも閉口してしまう。といいつつもここで、ザ・シンプソンズを取り上げるのだから、あまり強いことはいえないのだが……。
たしかにこのテレビ・アニメーションはおもしろい。こういうのを見ると、ちびまるこはやっぱりお子さま向きだという気がしてくる。ちびまるこは、ストーリーにさほどおもしろさがあるわけではなく、全体がエッセイ的でどうしても見終わったあとの印象は薄い。しかし、シンプソンズはそこが違う。
シンプソンズ家に起こるさまざまなできごとを一話完結方式で見せていくのは、ちびまるこ、サザエさんと同じである。しかし、なによりまず登場するキャラクターの姿がすべて奇妙なのだ。まったくかわいくない。父親の分厚い唇とはげた頭、バートという小学生のワルガキは歯ブラシのような頭をしている。五人の家族だけでなく、登場人物全員がデフォルメされた奇妙な風貌だ。
そして、父親の仕事は原子力発電所の技師。絶対に日本ではこういう設定はありえない。原発などという物議をかもすやもしれぬ要素をわざわざぶちこんだりはしない。そもそも、ちびまるこもサザエさんもオヤジやサラリーマンというぐらいの情報しかなかったような気がする。実にあいまいである。
実際に3話を観た。どれもかなり熱中させられた。さすが製作したソフトがそのまま世界商品になってしまうアメリカならではというかんじである。話の骨格がクリアーで、なおかつダイナミックなのだ。サザエさんも、ちびまるこも、あらすじだけではとてもおもしろいとはいえないし、すべてあまりにも牧歌的すぎる。そういえばロバート・アルトマン監督の「ザ・プレイヤー」で、映画会社のシナリオ担当重役というのがいて、毎日、売りこみにくるストーリーのあらすじだけ聞いてそれを買うかどうか検討するのを仕事にしていた。まずなによりストーリーというのがアメリカである。
『パーティはこりごり』はフェミニズム、『バートのフランス日記』は東西冷戦下のスパイ合戦、『バートン将軍』は戦争というのがそれぞれモチーフになっていて、シンプソンズ・ファミリーをダシにしながらも、語られるのはきわめて大きなテーマ。
しかし、大口をあけて笑いころげながら見終わったあと、ちょいと待てよという気になった。
ラストのオチがどうもクサイのである。フェミニズムも最後は妻への愛と家族愛へ回収されるし、スパイでは東側の悪辣さが強調され、戦争ではなんとワルガキであるバートが「自由と平和のための戦争は正しい」などといってのけるのである。
全体がものすごくスラップスティックとパロディに満ちているようでありながら、きちんと一本、アメリカン・イデオロギーが通っているところがきわめて教育的なのだ。
なるほど、こういうソフトが世界的にもウケてしまうところが、アメリカの強さになるのだろう。と、思いつつも、そのおもしろさが忘れられず、ほかのヴァージョンもぜひ観たいと、いま画策中である。
HiVi(1993/6月号)掲載
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