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2004年1月14日 (水)

若者とケータイ 「孤立の中での友だち探し」西日本新聞 いまこの時代に(2004/1 /14)掲載

 平成がスタートしたのは、バブルが頂点に達した1989年だった。街はどこもギラついていて、ぼくらは陽気に浮かれていた。「なりふりかまわず利益を追 求することはいいことだ」という空気がすべてを支配し、自分の利益だけに個人が、企業が執着した。
 ちょうどそのころだった。文学は「自分探し」を主題にかかげ、若い世代の一部は自分追求の延長として新興宗教にのめりこんだ。中高年は自分史に熱中し、 主婦は自己実現の道を家庭の外に求めた。この「自分探し」と「バブル社会」とは、自己執着という点で表裏一体だった。
 反面、他者、社会への視点は失われた。観念のジャンプ力によって高みに駆けあがり世界を鳥瞰したい、という若い世代特有の欲望は時代遅れになった。人生 の理想は消費生活に収斂していった。この現象は平成という時代がつづいているように、いまもまだ厳然とここにある。街は殺伐として、自己優先の本音が露骨 に顔をだし、個人と個人、組織の摩擦が頻発する。

 ぼくはこの状況を目の当たりにするたびに、いつもあの事件を想い起こす。酒鬼薔薇事件だ。犯人が発した「透明は存在」という言葉が、いまも脳裏にはりつ いている。むろん「透明な存在」というものは存在しない。透明は非・存在なのだ。思春期における性的葛藤は、ともすれば自分を不純で汚れた存在として規定 してしまう。「透明は存在」とは「ぼくは透明である」という自意識ではなく、不透明で不純であるという自意識の裏返しであり、非・存在でありたいという願 望にほかならない。つまり透明な存在とは「死」のことだ。この自己執着的な悲劇をこえる手段が自分を客体化できる観念、大げさにいえば理念、思想だ。自己 を世界にひらく力である。
 もし酒鬼薔薇がケータイを手にしていたら、とぼくは想像する。少年少女たちがあたりまえにケータイを使うようになるのは、事件から数年さきのことだっ た。
 いまやその小さな電子機器は、彼ら若い世代の必需品であるばかりか、「生」そのものを支える、よりどころといってもいい。ぼくは機会あるごとに「もし二 者択一なら、子ども部屋とケータイとどっちをとるか?」と、彼らに問う。多くは「ケータイ」と答える。
 なぜか?NHK放送文化研究所が発表した今年の世論調査に、その理由の一端がかいまみられる。友だちづきあいで、「どんなことでも話し合ったり助け合っ たりする」という、いわば深いつき合いを望む者の割合は、50代以降はほぼ3割から4割だが、10代から20代ではそれが7割から8割にもおよぶ。一見、 ドライでかわいた交友関係をつづけているかにみえる若い世代こそ、もっとも執拗に「親友」を求めているのだ。これは単に人生の過程で生じる一時期の特徴だ ろうか。そうではない、と思う。世界に自己を位置づける基盤をもっていない者は、ひたすら「友だち」という名の他者によって、自分を確立するしかないの だ。

 若い世代では交友のありかたも大きく変化している。かれらは学校のクラス、塾、会社といった、枠のある人間関係を嫌う。それらはなるべく薄くてドライに すませようとする。反面、枠のない自由な関係を保てる「親友」を、さまざまな手段を講じて探す。コンピューター・ネットワークとケータイがその役割を果た す。クラス、会社といった概成の枠外に支えを求める彼らにとって、外部で友を発見し、関係を持続させるケータイとネットワークは、子ども部屋よりもずっと 重要なのだ。
 子ども部屋が友との交友に使われなくなって久しい。そこはゲームと勉強のための孤立した場でしかない。電子ネットワークは空間の価値を低下させた。コ ミュニケーションに空間や場がさして必要ではなくなったからだ。子ども部屋も同じである。その意味で、住まいの求心力は急速に衰えている。さらに家族とい う人間関係が強力な「粋」のなかで成立していることを考えれば、もしかすると若い世代にとって、家族もまた薄い、あるいは「うざったい」存在であるのかも しれない。
 ケータイ時代の若者は「自分探し」をやめている。それは「友だち探し」にとってかわった。けれども世界にひらくべき視線を閉ざし、さらに「自分」を放置 して、いったいどうして「友」という他者との関係確立を成功させられるのだろうか?その無謀ともいえる「友だち探し」の究極を、ぼくはたとえばサイトで知 り合った者同士の自殺にみる。他者との関係と絆が、死=「透明な存在」という最終局面を想定し、やっと手に入るものだとすれば、それはあまりに酷い。
 平成という時代ほど人々が「個」に縮こまったときはない。
 「個」は「孤立」し、社会は確信を失い、若者は電子ネットを浮遊しつづけている。かつてぼくらが、思想と理念を笑ったツケは、取り返しのつかないほど大 きい。

西日本新聞 いまこの時代に(2004/1/14)掲載

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