「食する映画たち」1 嗜好571号(2004/5月)掲載
映画を観たあとはたいてい食欲がます。スクリーン上に登場した料理が脳裏にすりこまれて、どうにも我慢ができないのだ。ピッツァをうまそうに食べている
シーンに遭遇すると、すぐさまイタリア料理店へ走るというぐあいである。
映画作品そのものの記憶が、食のシーンに代表されるということも少なくない。ぼくにとってその初体験は『わんわん物語』ということになる。雑種の野良犬
トランプと上流家庭に飼われているレディーが、イタリア料理店の裏口でスパゲッティにありつく。ふたり(いや正確には二匹)は一つの皿で仲良く食べるのだ
が、やがて口にした麺がじつは一本につながっていて、たどっていくとキスになるというシーンだ。有名な場面である。見たのは幼いころなのに、そこだけはな
ぜか記憶に残っているという大人も多い。そのときトランプが、皿に載ったミートボールを鼻でレディのほうへ寄せるという演出も、またうまかった。「恋」と
いう存在を知ったことも収穫だったが、この世にはミートボールのスパゲッティというものがあり、それはどうやらたいへんなご馳走らしいと「学習」したこと
も忘れられない。まだ小学校に入ったばかりのころのことである。
それから数年して、淀川長治解説で知られたテレビ番組、日曜洋画劇場で『アパートの鍵貸します』を見た。ジャック・レモンが部屋にやってきたシャー
リー・マクレーンにスパゲッティをつくるのだが、鍋から麺をこすのに使うのがテニスラケットだった。子ども心に、ほんとうにアメリカ人はそういう乱暴なこ
とをしているのかしらん、と思ったことを覚えている。
日本人にとってスパゲッティとは、アメリカ経由で入ってきた料理だった。一時、喫茶店で盛んにだしていたナポリタンやミートソースは、イタリアンパスタ
料理としては相当に怪しいげなしろものだったが、それでもまったく疑うなく口にしていた。で、案外旨かった。
アメリカのイタリア料理ということでは『リストランテの夜』が筆頭だろう。ここで最初に登場する料理は魚貝入りのリゾット。野暮なアメリカ人客は調理に
時間がかかりすぎる、それになぜスパゲッティが添えてないのかと文句をいう。スパゲッティがほしい、ミートボールスパゲッティを! こういう「過った」注
文に厨房のコックは激怒する。スパゲッティとミートボールは別の料理だ! というのだ。
イタリアの名曲ベラ・ノッテをBGMにトランプとレディーがロマンチックに食したミートボールスパゲッティは、じつはアメリカで流行った「アメリカ料
理」だったという事実をこの映画で教わったしだい。映画の最後にはイタリアのフルコース料理が登場する。圧巻はティンパーノというパスタ生地でさまざまな
食材を包み、洗面器で焼き上げたふるさと料理だ。イアン・ホルムが「こんな旨いものを食わせやがって!」と怒りだすくらい、たしかにこの上なく素晴らしい
料理に描かれていた。パーティの客たちはドルチェまで堪能しつくし、食べ疲れでぐったりとしているというのに、映画の観客は空腹感をつのらせるという、な
んとも残酷な映画であった。
けれど一番うまそうだったのは、一晩の宴が終わり、翌朝に弟のギャルソンが兄のシェフにつくってやるプレーンオムレツだった。店がつぶれることが決ま
り、兄弟は離ればなれになることがわかっている。それでも朝になれば家族は食事をする。このシンプルな料理を黙々とふたりで食べる。ゴージャスなフルコー
スにはない、あったかさがあふれた朝食のシーンだった。
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