「奇妙で不可解な住まい」 プレジデント(2004年11月25日号)掲載
いま住宅地を歩くと、これまでにはなかったような意匠を凝らした住まいに目を奪われることが多くなった。室内ではきっと、快適でおしゃれな暮らしが営ま
れているのだろう。けれどこうした住まいを目の当たりしたとき、不思議なことにぼくは、一種のもの悲しさを覚える。この寂寥感は、いったいどこからやって
くるのか?
日本ほど住宅が定型を失った国もまた珍しい。いまやなんでもあり、という状態だ。世界的に流行しているシンプルな箱型のミニマニズムはもちろん、コロニ
アル風、あるいはコンリト様式の門柱をようする住まいなどもある。そのときどきの「気分」によって家を選び、そしてまた住み替えていく。そのようすは流行
によって洋服をとり変えていくのと、よく似ている。
これらをひとくくりにして「デザイン住宅」と呼ぶらしい。三十代から四十代にかけての「新人類」世代が好む、という話をよく耳にする。
彼らは高校時代からファッション雑誌で育った。一通り着こなしたあと、彼らの関心はインテリアに移っていった。衣装とおなじように部屋も美しく心地よく
ありたい、と思うのは当然の成り行きだった。その世代が住まいを手に入れはじめたとき、それはかつてのマイホームというような家族を全面に押しだす「暮ら
しの箱」ではなく、むしろファッションの延長のようなものになった。暖かさよりもクールさ、重々しさよりカジュアルさがテーマであるかのようだ。それは現
代家族の理想モデルが変化したことのあらわれかもしれない。
かつて日本人は、ひたすら外へ、外へと憑かれたように動きまわった。ファッションブランド、グルメ、海外旅行。学生たちが卒業旅行でカナダのウィスラー
まで出かけ、ヘリスキーに興じるなどということが平気であった時代だ。その彼らがいま住まいに目をむけている。まるでノマドのような外向きの行動様式に飽
きたのか、あるいはピーターパンのような少年少女時代を終えて、ようやくセダンタリーな年齢に達したということなのか。
浮かれてはしゃぎまわることをやめ、落ち着いて自らを省みる拠点として住まいを欲しているのだとすれば、「デザイン住宅」もその役割はけして小さくな
い。
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