豆炭
「ひっしまめたん」が一発で「必死豆炭」と変換されたのにはびっくりした。
シアトルマリナーズの城島選手が、インタビューで「まだまだ、これから必死豆炭でやらないと」と発言して、なんだかとても懐かしい言葉をひさしぶりにきいたきがした。
これは博多の方言で、懸命にがんばる、という意味。
ただ、なぜ豆炭なのか、わからない。
ぼくらが小学生だったころは、必死練炭、とわざと変えていった記憶がある。
豆炭より練炭が新製品だったから。
だが、七輪も豆炭も練炭も日常から遠のいて、
では、必死都市ガス、というのも、ないだろう。必死原発、こちらは強力すぎる。
代わりがみあたらない。
どうやら、必死にがんばる、というとき、その気分を象徴するモノが、日常から消えたようだ。
薪とか石炭とかコークスが。代替されたのは、ガスとか電気。
見えない。
よって必死になれないのか、日本人は。
豆炭や練炭や炭という、けっして過剰ではなく、うちにこもった、それでいて意志を感じる「火」をじっと見つめるという日常の行為は、もしかすると、人の成長の何かに作用するのかもしれない。
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