大沢悠里さんの声
声の記憶というのは、案外、顔の記憶より強いのかもしれない。
大沢悠里さんとスタジオで言葉をかわしていると、それが大沢悠里さんであるという意識がなくて、
つかのまの休憩時間にスピーカーから流れる声を聞くと、「ああ、あの大沢悠里だ!」と納得する。
それほど声の記憶が強いということか。あるいは声が人の印象を決めるということか。
しかし声そのものを記憶する、識別するというのは、おそらく不可能だろう。
たとえば「アー」と声を出して、それだけで、誰かを当てるのは、かなりむずかしい。そういうクイズ番組あった?
あれほど多くの人に声が記憶されている大沢さんでも、
それを識別するのはおそらく困難ではないか。
つまり声というのは、言葉の連なりによって、記憶されるのだと思う。発音の連続運動が記憶されるのでは。
母親に十人の赤ん坊の泣き声を聞かせて、我が子を当てる確率はどれくらいになるのか? そういう実験あった?
興味ある実験だなあ。
それにしても、「大沢悠里のゆうゆうワイド」。
長寿というだけでなく、全ラジオ番組のなかで聴取率NO1というのも、大沢さんのコメントと仕切の力だけでなく、あのなんとも心地よい声があればこそだろうな。
« 忘れ物 | トップページ | 「思考のショートカット」 (2007.9.20) WEB限定掲載 »
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