コンセント抜いたか
タイトルで目を引くということは、案外難しく、ヘンに凝ったり、奇抜だったりしても、人は素通りする。
「『家をつくる』ということ」を書いた後、「○○○ということ」という書名の本がたびたび出版されたのを記憶している。
私が目にとめるのは、自分が書いた本の書名に似ているので当たり前だけれど、ほかの読者はどうだったのだろう。
タイトルということでいうと、嵐山光三郎が週刊朝日に長年にわたって連載している「コンセント抜いたか」というエッセイのシリーズタイトルは卓抜している。
どこが、という説明はできないが、なにしろ思わず「抜いてない!」と応えてしまうほど、記憶に残る。
同誌を買うと、必ず読んでいたけれど、筆者に面識はない。
昨晩、ベッドに入って、ナイトキャップがわりに読んだ。
と、偶然「暴走老人は私である」という見出しが目に飛び込んできた。
今回、氏の説法はとばしまくりで、まさに暴走の極致。
ベッドで抱腹しつつ、一瞬にして読み切る。
拙著について批判の嵐ではと思ったが、評価してくれているようで、ほんとうにありがたい。
おかげですっかり目が覚めた。
このエッセイはナイトキャップにはふさわしくない。
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