末期社会
NHKラジオ「ラジオ井戸端会議」でスタジオに入る前に、近くのホテル・ラウンジで取材を受けた。
インタビューするのは30歳まえの某新聞記者。
後期高齢者保険についての話になった。
ぼくはあるテレビ局で、キャスターがしてくれたある笑い話を思い出した。
ゲストコメンテーターが「後期」というところを「末期」と言い間違えたのだという。
それもなんども。
そのつど「ええ、そうですね後期高齢者保険」と訂正するのだが、その人は最後まで「末期高齢者」を通したという。
末期!はまずいだろう。
そうすると、末期、後期、前期があることになる。
そのまえは準高齢者か。
ついこの間、老人ホームを丸二日体験取材した。
街を歩いていても高齢化社会を肌で感じるが、外を歩いている人など、まだまだ若い! と思い知った。
社会から隠れたところにほんとうの高齢者はいるわけです。
さて、その若い新聞記者がいうには、もうその歳で「老後のためにはいま貯蓄はどうしたらいいか」などと仲間とよく話すそうだ。
おお、その二十代で!
よく聞く音楽も最近のではなく60、70年代のもの。
いい曲が多いからだそうです。
末期なのは人ではなく、この活気のない、将来のない社会そのものか。
末期日本社会。
« 「思索の時代」 (2008.4.18)※このエッセイは西日本新聞「本の森」発表の記事に大幅な加筆改稿したものです。 | トップページ | 見知らぬ男の肖像 »
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