「フルハムロード」 (2008.10.14) WEB限定掲載、書き下ろし
渋谷区桜丘町に小さな輸入雑貨の店があった。
1980年代の初めころ、その町に移り住んだ私は、散歩中に店を見つけて、おそるおそる中をのぞき見た記憶がある。
客も店員の姿もなくひっそりとしていた。
すでに事件の騒動も一段落していて、フルハムロードは住宅街に身を潜め静かに営業していた。
『メイド・イン・USA』というムック、つづいて『ポパイ』が発売されたのは1970年代だった。
それから日本の若い世代のあいだで、アメリカの消費スタイル、ファッションをモデルにすることが一気に大衆化した。
まだハリウッドランチマーケットが青山の小さなビルの、たしか3Fにあったころだ。コンコンと音がする外付けの螺旋階段を上ったところに、サイズのばか
でかい古着がいっぱい吊してあって、海の向こうの独特の臭いが漂っていた。
当時モデルとなったアメリカは、西海岸に限定されていた。ニューヨークが視野に入ってくるのは1980年代になってからだ。
三浦和義という人は、画面のなかでいつもアメリカ西海岸のにおいを発散していた。けっしてニューヨークでもパリでもなく、ハワイかロスのしかもカジュア
ル。
ロスで「疑惑」がスタートしてロスで終演したのは、あの人にとって必然だったのかもしれない。事件がロンドンとかシドニーだったら、これほど長く人々の
関心をつなぎ止めなかっただろうとも思う。事件は時代の空気としっかりとリンクしていた。だから、ロンドンもニューヨークも一度「食べてしまった」この時
代の日本では、三浦和義的な「ストーリー」は、もはやピンとこないのかもしれない。
そして、アメリカ一極の世界が無極化することがどうやら本当のことになった2008年に、その終わりがきたのも、私には象徴的に感じられる。
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