「観覧車は永遠に回る(3)」 (2009.4.27)
酒に手を伸ばすような不真面目な客は見あたらない。ましてやマティーニのような強いカクテルを注文するのはぼくだけだろう。昼下がり、空はまだ恥ずかしいほどの青。
「この時間、マティーニなどできる?」
「もちろんですとも」
ブラックタイのウエイターは、役者のようなほほえみを返す。
横浜ランドマークタワー最上階にあるシリウスという店だった。手元に届いたマティーニグラスは、ジンジャー・ロジャースと踊るフレッド・アステアのようにスマートだ。するどく絞りこまれた窪みを受けとめるのは、長くのびたイツッギーの脚。
グラスをテーブルから窓の桟に移してみた。そして、あのマティーニをイメージする。高さが約三〇〇メートル。ワールドトレードセンターに一〇〇メートルほど足りないが、ここは日本で最高度に位置するバーだ。
遠くにベイブリッジ、それにつながる渚橋が海を水平に横切っている。直下には白い帆を張ったように風を切るインターコンチネンタルホテルが、いままさに船出しようとしているかのように、少し生意気だ。
東京湾岸の景色が溶けあったマティーニは、口に含んだとたんスルリと喉を下っていった。
間近のアミューズメントパークで観覧車がまわっている。あまりにゆっくりで止まっているようにしか見えない。直径がほぼ一〇〇メートル。この瞬間、地球上ではいったいいくつの観覧車がまわっているのだろう。
ロンドンの観覧車、ロンドン・アイはひとまわり大きい。二五人乗りの透明カプセルからは街が一望できる。マリー・クワントとクラッシュの街。
『第三の男』でオーソン・ウェルズとジョゼフ・コットンが乗った観覧車は、大戦の傷跡が残るウィーンだった。もしかすると、二〇世紀は観覧車の時代だったのかもしれない。人は高いところ、日常から切りはなされた場所から、この世界を見下ろしたいと思う。だからビルはどんどん天空へと伸びていった。そこから眺める地上の風景は、なんと平穏で美しいことだろう。
でもいつかは地上へともどらなければならない。ぼくらは豆の木に登ったジャックとは違うのだ。スカイクレーパーやタワーの展望台に居つづけることはできない。永遠に観覧車の客となることはできないのだから。
ザ・グレイテスト・バー・オン・アースのマティーニが、マジックのように持ち去ったものは、永遠にまわりつづける観覧車だったのだろうか。
……マティーニを飲み干し、オリーブをほおばると、背中から声がした。
「おかわり、お持ちしましょうか?」
ぼくは断る。マティーニは一杯だけ。それが一つの敬意のような気がしたから。
だれへの? 何にたいしての? わからない。でも、それが消え去ったすべてのものへの礼儀であるのはまちがいない。
ウエイターがもちあげたカラのグラスに、ほんの一瞬、港の黄昏がうつりこんでは消えた。
※BIZ STYLE 2008.no1掲載のエッセイを再録したものです。
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