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2009年6月 3日 (水)

「鏡と映画」  (2009.6.3) WEB限定掲載、書き下ろし

 ジョン・マルコヴィチ主演の映画『クリムト』には、ヴィトゲンシュタインが出てくるが、その姉をクリムトが描いているということは知らなかった。なんと なく同時代の存在としてだしてきただけではなかったのだ。
 さてこの映画には鏡が随所に登場する。作中、画家クリムトが見る鏡は実はマジックミラーで、むこうにもう一つ別の部屋=世界が広がっている。鏡に映った 自分を見ているようで、自分が他者に見られているという視線の二重性が描かれる。
 映画の中でモチーフの重要なアイテムとして鏡を用いるのは、もちろん珍しいアイデアではない。が、世紀末の画家としてイメージされるクリムトと重なるこ とで、二〇世紀という時代の映画と写真、絵画のもつれた糸がおぼろげに見えてくる。
 鏡は水鏡を源とする。水面に映った自画像におぼれ死んでしまうナルシス――。それから金属鏡が貴重な神器や権力を象徴する道具となる。自己を見ることが できる道具はそれしかなく、特権的なモノとして存在していくこととなる。
 銀塗布による鏡が登場し、大量生産されるとそれは一般化する。だれもが日常的に自己の姿を見るというかつてなかった時代に入り、人は自己と他者と個とい う観念の海の中に入っていくことになる。
 その時、鏡はたんに自己を映し出す装置として意識されるだけでなく、その向こう側の世界、ここに映し出されている自分ではない自分、という幻想にとらわ れていくこととなる。
 向こう側の世界ということでは『不思議の国のアリス』であり、コクトー監督の『オルフェ』である。そこに映し出された自己への信頼の揺らぎ、あえてそれ を他者と自己という近代的弁別への不安としてみれば、同じくコクトー『美女と野獣』となる。そこではジャン・マレーと野獣との二重性として描かれる。
 しかし、『クリムト』で描かれた鏡はそうした向こう側の世界や自己の二重性を描いて見せたようでいて、実は映画という方法の本質をそこに抽出したかった のではないかと思う。作中にメリエスが登場し、映画の原初的風景をかいま見せるあのシーンもそれと無関係でないだろう。つまりはベンヤミンの「複製技術時 代の芸術」というテーマそのものだ。
 さまざまに大量にコピーされる映像、そこに張りついていく自画像、映画からIT時代の現代にいたるまで繰り広げられているオリジナルと複製という「対 立」を、世紀末のクリムトは画家であるがゆえに、鮮烈に感じとったということもできるし、そのようにこの映画は描かれていたのだという気がする。
 自画像のコピー装置としての鏡ということでは『イブのすべて』のラストシーン、重ね合わされた姿見に映し出される無限の女優像が、思い起こされる。おそ らく鏡と映画という本が書かれるとすれば、最終章はこのシーンということになるのだろう。
 タルコフスキーの『鏡』についてふれる余裕がなくなった。鏡について考えることは異様に疲労する。もうやめ。

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