「1989年」 (2009.7.11) WEB限定掲載、書き下ろし
1989年から20年たったのに、あまり20年が強調されないのは、なぜだろう? と、ときどき思う。
1989年はいまから考えれば、世界の大きな分岐点だったはずだ。
きっとその年が平成元年で、今年は21年だから、もう二十年はとっくにすぎたという感覚だろうか。
女子高校生がコンクリートに埋められたり、坂本さん一家が拉致殺害されたり、東京近郊に暮らしていた幼女たちがつぎつぎに殺されたりという、殺戮があっ
たあの年だ。
そして世界では東欧革命、天安門事件の年として記憶される。
もし天安門事件が学生市民の勝利で終わっていたら、チベット、ウイグルの状況はかなり違ったものになっていたような気がする。
ともかくそれ以降、世界は生産、消費活動だけでなく、金融と情報のグローバリズム化の道を一直線に突き進んだ。
それは世界が緊密に結びつき、融和が進む道筋のようにみんな考えていた。今から考えると、インターネットが世界を一つの結びつけるなどという楽観を、な
ぜ人々は信じたか不思議だ。
「歴史は終焉」するなどというフクヤマという人のホラをなぜ信用したのか。
現実に起こったのは、融和とは正反対の新しい民族主義と原理主義の対立の連鎖だった。
けっきょく、グローバリズムは近代国家を基盤とする帝国主義を一気に衰退させたが、その一方で民族対立と宗教的拝外主義を蔓延させた。
日本でも拝外主義はかつてなく強くなった。それは簡単な理由だと思う。かつてのように私たちは隣国を経済的高みから眺める余裕をなくしたのだ。相対的に
私たちは貧し くなった。貧しさの意識は他者への憎悪を生む。いまある他者への憎悪と拝外主義的な姿勢の背後には、私たちの貧しさと展望を切り開けない現
状がある。
くたびれた家のなかから、どんどんリッチになる隣の家を眺めるのは、はがゆいと感じる人が多いのだろう。
ともかく1989年以降、私たちは他者への余裕をなくし、憎しみをたぎらせる道を歩み始めている。
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