壁と卵
「壁と卵」という比喩がずいぶんいろんなところで援用されている。
ところで、私たちにはそもそも「壁か、卵か」という選択肢があるのだろうかか?
どちらかの側に立つ、などということが可能なの?
壁の側に立とうにも立たせてもらえないのが、ウイグルやチベットやガザの人々。
これらの報に接するとき、口が裂けてもだれだれの側に立つなどといわないでいようと思う。
なんだか知的特権を振りかざしているようだし。
もっともそういう特権的場は私にはないのだけれど。
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