ツイッター(3)
新聞で、引退表明した清水宏保が、
「オリンピックにはJOCの幹部などが大挙してやってくる。
おかげでコーチやトレーナーがはじき出されてこれない。」
と批判していたのが印象に残った。
ネット配信の雑誌記事で、
実は若い世代での正社員は減っていないとの主張があった。
しかし、高卒、大卒の内定率がこれだけ下がっているのに、と首をかしげた。
某ファストフードチェーンでは
カメラ検定というのがあるという話を耳にした。
本部の担当が店員に、社訓やフードのレシピや接客方法について質問し点数化する。
顔も見ず電話でだ。
そのあと、店内のカメラで実際の働きを検証し成績をだす。
それに合格すると時給があがる。
いくら? 10円である。
バイトだから受けなければいいのだが、
それだと店に居づらくなるのだという。
どこでもやっているのだろうか?
ツイッターでフォローが急に増えた。
本日の視点・論点の番組表の影響だ。
ツイッターの世界での有名人がツイートしてくれたからだろう。
ツイッターは「さえずり」のシンフォニーのようにみえる。
細部は消えていく。
聴いたという印象だけが残る。
たいていはそれで終わる。
問題はいったん始めると「つぶやかない」ことへの不安がたちあがってくること。
つぶやきつづけなければ、すぐに聞いてもらえなくなるという不安。
フォローがなくなるという不安。
これはブログでもおなじかもしれない。
しかしそれは、静かに内省的に考える時間と、思考へとむかう精神的態度を奪うことにもなりかねない。
ツイッターがなぜ拡大するのかというと、それがストックよりフローという現代的な性向とマッチしているから。
消費的、瞬間的である。
深まる思考と、どう両立させられるかが課題か。
「かまびすしい」という言葉を思いだす。
年に3~4回やっているラジオでのひとり語り。
新聞記事をもとにした話なのだが、
スタジオのなかに一人でマイクにむかって語る。
聴いているのか、いないのか、何しろ早朝で、実感がない。
全国放送なので、確かに多くの人(私にとっては)が聴いているのだが、ツイッターに比べると、ずっと静寂感がある。
だれかにむかって語ったというリアル感はツイッターのほうが少しはあるか。
が、それもまた幻想なのかもしれない。
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