疑問なコラム
すぐれた書評というのは、批評とした本を読まずとも、独立してすぐれているものだ。
たとえばスポーツ・コラムというジャンルなどは、その好例で、
ゲーム、試合を会場で見ていなくても、なるほどと、うならせるものがある。
しかし、このコラムはよくわからない。
スポーツにまつわる、ネットで発表されたものにしては長文なのだが、けっきょく、いいたいのは「真央ちゃん、これからもがんばれ」といったことしか感じら
れなかった。
つまり、何が不足していたのか、表情管理なのか、動きの表現力なのか、もっとオーラのようなものなのか。
「不足しているもの」の様態が見えてこない。
これを選手本人が読んでも、元気づけられるというより、混乱するだけだろう。
日本のスポーツ界というのは、ライターが入りこむ垣根が高く、
いったん入ってしまえば、独占的に書けたりする。
この人がそうかどうかは分からないが。
たとえば引退した清水宏保が、オリンピックで書いた新聞コラム、記者の聞き書きかもしれないが、あれはよかった。
キム選手のすごさを素直に認めつつ、回転などの演技にはいるときのスピードが卓越していたこと、リンクにあがったときの会場の反応が他の選手とは違ってい
たこと(つまりオーラかな)など、素人がなるほどそういうことだったのか、と膝を打つ指摘が多々あった。
スポーツコラムには、スポーツというきわめて具体的で具象的で計測的なジャンルだけに、こうした気分以上の示唆が必要なのである、なんて、思いやした。
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