幸福なる孤独死
あるメールへの返答です。
ちょっと考えることもあったので、以下その一部をコピ&ぺします。
・・・たしかに、
お一人様の老後的な人生指南は生活基盤に恵まれた社交的な人にはいいでしょうね。
私はほんとうの老人というのは、社会から消えて初めて老人であり、老後だと思っています。
施設や住まいから出られなくなって老後で、友達とわきあいあいやっているのは、老人ではありません。
暴走老人は実は老人ではなく暴走現役社会人なのです。
ほんとうの現役老人の姿は、社会から見えないところにあるわけです。
70代、80代になったら「お一人様」などと悠長なことはいってられなくなるわけですね。
・・・ご指摘の、
孤独死というのはたしかにいたましいという感じがしますが、しかし、それも死後に他者が勝手に解釈するという側面もあります。
だれかに看取られるというのが、それほど幸せでない、そういう死もありそうです。
けっきょくは本人の死生観ですね。
死ぬときはだれも本質的に一人なのですから。
「幸福な孤独死」というような本は意味があるかもしれません。
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