桜とデジカメ
朝の五時からカメラと三脚をかついだカメラ青年、
中年がやってくる。
桜の撮影だ。
通りに三脚を構えてシャッターを押す。
こんな時間に始発電車でやって来るのは、人を入れない構図を欲してのことだろう。
つまりカレンダーのような写真だ。
が、散歩者がいる。
まったく人が入らないというのはむずかしい。
でも、なぜカレンダーのような風景写真が撮りたいのか?
プロでもないのだから、もっとオリジナルなもののほうがいいのでは。
しかしよくよく考えると、逆だった。
デジタル化でテクニックフリーになって、たいした技術がなくても、それなりの風景写真は撮ることができる。
だから、達成感がある。
よって、デジカメ買って、にわかアマチュアカメラマンが増加する。
DPEいらずなのでランニングコストが安い。
プロはテクだけでは通用しなくなっているのかもしれない。
アイデア、構図の才能がないととてもやっていけないでしょうね。
「小学生の息子が五万円のカメラで撮っても、いい写真に仕上がるんですよ、いやになる」
プロカメラマンのこのひと言葉が忘れられない。
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