ロボットは桜を愛でるか
人間の感覚とは不思議なもので、
桜が三分咲きにでもなると、わくわくするが、
反対に七分散って、三分残った話に花が咲くみても、
いっこうにわくわくするものがない。
花びらの数は同じでも、
不可解な感覚だが、
ここには時間というものが左右していて、
未来形と過去形の差異が、
そうした感覚を呼び起こすのだろう。
CCD技術でとらえた画像と、
この時間感覚を結合する、のはむずかしい。
そこに現代のロボット技術がアンドロイドになれない、
究極の弱点がある。
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