コラム ディランとノーベル文学賞
4月1日、ボブ・ディランがコンサートで訪れていたスウェーデン・ストックホルムで、スウェーデン・アカデミーからノーベル文学賞の賞状とメダルを受け取った。
これに関連して、昨年、新聞に寄稿した原稿を改稿して掲載。
1964年12月、フランスの作家、ジャン=ポール・サルトルはノーベル文学賞を辞退し表彰式を欠席した。
この文化的な一大ニュースの余韻が残る翌年の7月、ボブ・ディランは米国のニューポートフォークフェスティバルに出演した。
ギター一本で斬新な自作曲を歌うディランは、すでに若者に人気のフォークシンガーだった。このステージでは、エレキギターを奏で『ライク・ア・ローリング・ストーン』を歌うという離れ業を初めて披露した。しかし一部の観衆から「低俗なロックンロール!」という罵声を浴びて舞台をやむなく降りる。のちに語りつがれる音楽史上の大事件だった。
彼に批判的だった観客は、概ねリベラルなインテリ層だったが、音楽的には保守的な人が多かったらしい。彼らがディランに求めていたのは正統的でアコースティックな民族(フォーク)音楽でしかなかった。その意味では、頭が固い権威主義者だったともいえる。
当時のサルトルもまたディラン同様に、多くの若い読者をもつ文学界の大スターだった。それだけにノーベル文学賞辞退という彼の行動は世界に波紋を広げた。当時の若者にとって同賞は、古びた「ただの権威」に格下げされたにちがいない。
だから今年、ノーベル文学賞受賞の一報が流れてからのディランの長い沈黙は、私にはサルトルの「辞退」を思い起こさせた。その後、彼は唐突に受賞を歓迎する意向を示したが、「ノーベル賞のニュースに言葉を失っていた」というコメントで人々を煙にまいた。
一方、賞の選考委員会の思惑は透けて見える。彼らにとって同賞は、米国のグラミー賞などをはるかに上まわる芸術的な権威にちがいない。その感覚は正統派のフォークに比べてロックンロールを低俗だと罵倒した65年当時のニューポートの観衆に似ている。
にもかかわらずこの不出生ポップスターを選んだのは、権威の側にいる彼らの中に芽生えた強い危機意識のためだったと思う。背景には文学書の急激な市場縮小があり、サルトルの時代にあったような文学の社会的な存在感も、薄れているという現実がある。
そもそも近年の同賞は、世界的にはさほど有名ではないが、社会的に意義のある作品を発表している作家を選ぶ傾向にあった。近代文学の中心地である欧米からの受賞をおさえ気味にして、アジア、アフリカ、ラテンアメリカや小国出身の作家を積極的に選んできた。昨年は『チェルノブイリの祈り』を書いた、ベラルーシのスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチというジャーナリストが受賞した。
つまりノーベル文学賞はその権威を自覚的に活用し、ときに反政府的な作家を選ぶという政治性をも発揮しながら、いわば黒子として文学の活性化を巧みにはかってきたのだ。
しかし今回はどうか。好きなアーティストを照らすスポットライトの中に、むりやり割りこむ観客を見せられたようで、私は不快だった。嫌な観客とはもちろん文学賞のこと。ディランにしても本当は面白くないはずだ。彼のように若くしてスターになった人は、何者かに利用されることにはとても敏感なのだ。
彼の詩はたしかにすばらしい。しかしそれは歌う、奏でるという自らの身体表現を通して聴き手に染みわたっていくものだ。ボブ・ディランはやはり作家ではなく音楽家なのだ。
近代の文学は作家が紙にインクで記した言葉を、読者が静かに黙読してたどることで成り立ってきた。個人から個人へと受け渡される沈黙の行為が文学だった。だからこそ、いっときの感情の高ぶりに流されない深みと、時代の動きにあらがうような強さを獲得できた。ノーベル文学賞がどうであろうと、やっぱり文学は生き延びるしかないのだ。
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