日本のお笑いとメディアの関係
※北海道新聞8月9日付の寄稿文に関連して、まったく別の視点から書きました。
日本のお笑いとメディアの関係①
土曜日の昼、小学校から家に帰ると、ランドセルを放り投げて、食卓に用意されたインスタントラーメンをすする。そのとき白黒テレビに流れているのは、きまって吉本新喜劇の中継番組だった。昭和30年代、福岡に生まれた私にとって「よしもと」という名は、週末ののどかな空気が漂う茶の間で、かわいたベタな笑いを誘うドタバタ喜劇として記憶に刷りこまれている。
それから半世紀たって、いま再び「よしもと」(よしもと・クリエイティブ・エージェンシー)の名を、頻繁に耳にするようになった。「闇営業」に端を発した一連の騒動は、有名お笑い芸人の一部が会社に反旗を掲げるまでに拡大した。
ところで、今回の騒動をきっかけに気づいたことがある。日本の「お笑いのエンターテーメント」が、一つの転換点にさしかかっている気配を、私は感じるのだ。背景には、昭和から平成にかけて大衆娯楽を一手に担ってきたテレビという媒体の退潮現象がある。
いつのときも「お笑い」は、その時代にふさわしいメディアによって支えられてきた。ふり返ってみると、たとえば戦前、戦後にお笑いの中核にいたエノケンこと榎本健一は、劇団を主宰し、当時日本最大の繁華街だった浅草の劇場を席巻した。彼を支えたメディアは劇場だった。
戦後まもなく一時代を築いたのはハナ肇とクレージーキャッツだが、彼らが活躍した中心メディアは、映画だった。現存するテレビ映像を目にして、彼らの主舞台がテレビだったと思うのは誤解である。植木等を主役にした映画の無責任シリーズは空前の人気をよび、高度成長期の娯楽文化の象徴となった。ちょうどそのころ活躍したコメディアンの巨匠、森重久弥もまた主戦場は映画だった。彼がテレビ俳優として広く知られるようになる前のことだ。続く
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